2018年12月発行iFree第3号バックナンバー。

第3号2018年12月発行

2018年12月発行 iFree第3号

インターネット連動フリーマガジンiFreeアイフリー

月刊もぱ改め『iFree(アイフリー)』は初となる栃木市内全域をカバーするポスティング広告地域情報誌です。西方、都賀、旧栃木、大平、岩舟、藤岡の『新生栃木市』全域6万世帯をターゲットに絞った広告で、4万部を最強の発信力を持つポスティング広告+80ヶ所以上の協力店に設置された置き本にて多くの市民の方へホットな話題をお届け致します。栃木市ポスティング広告マガジンアイフリーをよろしく♪

目次ページ
  • 編集後記

    季節も冬になり、もう12月です! あっと言う間の1年最後の月に入り、時の流れの速さについていけないトミカです(><)寒さも増して参りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか! 私は先日、2年に1度開催される、小江戸の粋を感じさせる栃木市最大の秋祭りに行ってきました。お囃子と共に9台の山車達がゆっくりと練り歩き、栃木市大通りを幻想的な世界へと繰り広げられました! また、ぶっつけはお祭り最大の見どころ。迫力には圧倒されました! そして、久しぶりに巴波川の遊覧船にも乗り、地元を満喫させていただきました。他県からも沢山の方がお越しになり、秋祭りを堪能されたようで、私も地元ながら嬉しい気持ちで一杯でした。長年かけてきた伝統や文化が残される地域は、守っていく義務があるのだなぁと、しみじみ感じた今日この頃です。 平成最期の2018年、皆さまはどんな年でしたか? 私は一区切りの年となりそうです。また新たなる目標を掲げ、精進して参りたいと思います。あと1ヶ月、頑張って乗り切って参りましょう。アイフリーが誕生して1年、今年も大変お世話になりありがとうございました。2019年も、どうぞよろしくお願いいたします。

  • Vol.3 index
    「情熱人」㈱兼目工業社長インタビュー
    「栃木info」「五輪メダリストインタビュー」
    「栃木偉人」㈱青木ソバ粉会長インタビュー
    (一社)栃木青年会議所ご案内
    iFreeポスティング会社「トラスト」ご案内
    iFree設置店一覧
    「求人ジョブ・コン」「iPhone School」
    「プレゼント×LINE@」「読者様の声」
    「ここるく」×「おやこたいむ」

栃木の未来を担う情熱人

栃木の未来を担う情熱人 株式会社兼目工業 代表取締役 兼目悠暉さん(26) さん
株式会社兼目工業 代表取締役 兼目悠暉さん(26) さん

今をときめく熱き経営者、若干26歳の兼目悠暉さんが一代で築き上げた「株式会社兼目工業」は栃木市に拠点を置く建設足場施工会社。15歳で社会人となり、初めて勤めた会社が建設事業(鳶)で、初めから独立意識の強かった兼目さんは真面目に仕事に取り組む事で、自然と仕事の楽しさややり甲斐を覚え、技術を吸収していけたそうです。そんな中最愛なるパートナーである奥様との出会いと子供にも恵まれ、23という若さで独立、みるみる会社を成長させ現在に至ります。一代で会社を築くのはそんな簡単な事では無いはず! 何がそこまで兼目さんをそうさせたのか、とても興味がありこの度インタビューさせて頂きました。

自分の人生は決して平坦なものではありませんでした。独立当初は取引業者も無く妻と子供もいる中赤字も続き、正直眠れない日々も沢山ありましたが、信じてついて来てくれる仲間や家族のためにも、乗り越える為の答えを導き出すしかなく、夢中で走ってきた結果だと思っています。当初は知人のつてを頼り頭を下げ、お仕事を頂きながら信用を作り、1人で始めた事業がご縁と人に恵まれ今に至ります。

そんな姿を見て「なんでそんなに頑張るの?」とよく聞かれるそうですが、仲間や家族の為にも会社を大きくしていく事が責任ですと語る兼目さんには人知れぬ生い立ちについて口を開いてくれました。 物心ついた頃から里親に育てられ、経済的にも恵まれず人並みの生活を送れなかった幼少時代。与えてもらう物はお古ばかりで他人を羨んで過ごした日々も数知れず、児童養護施設での生活を余儀なくされた期間もあり、グレた時期も無いとは言いません。だからと言って周囲の環境を憎むのではなく、自分でどう人生を切り拓くのかを真剣に考え、15歳で就職、アパートを借り自立を始めました。そんな時に出会えた仕事と恩師に真剣に向き合い、独立を果たし成功を夢見て頑張ってきた結果をようやく掴めた人生と語ってくれた。

夢を成し遂げた今だからこそ全てに自信が持てるようになり、他人に優しくなれました。今はそんな生い立ちを誇りとすら思えるまでに自分が成長できたと語る兼目さんを、私はこれこそが成功者と言えるのではないかと心から思いました。

格好良い自分になる。その為に頑張ることで更に人の為になる。そんな思いを胸に社内では社長を慕う大勢の社員と安全かつスピーディーな仕事を目指し、メリハリを持ったミーティングを欠かさず行い、他社の事故例や何が良くて何が駄目だったかの検証、危機管理意識の教育を徹底しながらも、お酒を酌み交わしたコミュニケーションも欠かさないそうです。社員一同、現場監督さんや他社さんから「兼目工業いい仕事するね~」と言ってもらえる事に喜びとやりがいを持ち、職人であっても人と接する仕事という意識を持ち、挨拶を欠かさず行う事を徹底しているとの事。

今後の目標として、育てて頂いている栃木市に対してもっと貢献をすべく、若者が働きやすい環境を提供し人口増に繋がればと考え社宅を完備し、市外から移り住む社員も多く、結婚・定住に繋がれば嬉しいですと語る兼目社長。更には社長としての器を大きくしたい、話下手を克服しコミュニケーション能力を高めたい、会社作りを学たいといった理由から栃木青年会議所へ入会し地域活動・社会奉仕活動にも積極的に参加し、これらの経験から業界が活気づくようなイベントを主催出来たらと新たな目標に向けて邁進中。今後の活躍がとても楽しみな新進気鋭の若き社長さんでした。

栃木市情報×インタビュー

栃木市情報×インタビュー シドニー五輪女子ソフトボール銀メダリスト 石川 多映子 氏栃木市情報×インタビュー シドニー五輪女子ソフトボール銀メダリスト 石川 多映子 氏
シドニー五輪女子ソフトボール銀メダリスト 石川 多映子 氏

五輪メダリストが想うこれからの栃木市 スポーツ指導者と子育てをする母親、2つの顔を持つ石川氏にメダル獲得までのプロセスを取材致しました。

――スポーツとの出会いときっかけを教えて下さい。

大平町では男子が野球、女子はソフトボールという育成会単位でのチームがあり、当時大人しい性格だった私を心配し、偶然ソフトボールコーチの当番が回って来た父に友達作りと性格改善を目的で連れて行かれたのがきっかけでした。両親が経験者だから始めたという事でもなく、素人だった父も勉強を重ね覚えた事を私に教えるという二人三脚で共に学びのめり込んでいった結果、監督としての父も選手としての私も「勝ちたい」という思いが日に日に強くなっていきました。 中学に入るとその想いは更に強まり、強化練習にも参加するように。そこで後の恩師である強豪校の先生との出会いと、そのチームで練習したいという気持ちが芽生え、自然と進路が決まりました。 期待を胸に入学した高校は高レベルの生徒が多く、夢中で練習に励みましたが、実力差を埋めるためには同じ事をしていたのでは生き残れない、私は何をすべきかと真剣に考え、学校では勿論自宅での練習も欠かしませんでした。今思えば夜中まで練習していたので近所迷惑だったと思いますが、見守って頂けた多くの方にとても感謝しています。 また、当時よく練習試合に来て下さったコーチの所属する日立社会人チームの選手に憧れを抱き「自分もこんなチームで練習が出来たらもっと強くなれるんだろうな…」と社会人選手という次なる夢と目標が浮かんでいました。

――とても辛い練習を経て社会人選手になられたんですね。

いいえ、練習は特に辛いとか苦しいとは思いませんでした。むしろ練習が大好きで、達成感が快感でとても楽しかったです。一番辛かったのは、その練習の結果が出せなかった事ですね。社会人一年目に96年アトランタ五輪の選考会があり、五輪行きの切符が手に入る大会で投手として投げさせてもらえたので、当然私はオリンピックへ行けると期待していたところ、最終選考で落選。そのショックは相当大きく、今までの事が全て無駄になってしまったと絶望感に包まれ、何も手に付かず、考えられずで、全てを投げ出してしまいたくなる程の挫折感を経験しました。

――よく立ち直れましたね。

時間の経過が父を始め支えてくれている周りの存在を改めて気付かせてくれました。その多くの応援に応えるためにも、もう一度頑張ろうと思い、立ち上がる事が出来ました。

――そんなご経験があったんですね。その後シドニー五輪出場となりますが、団体競技故の難しさを教えて下さい。

個人競技と違い団体はチームワークがとても重要です。 全日本時代の監督もそれを重要視していて、年齢層が異なる選手達の考えをまとめ、穴を埋める為に全ての選手同士が互いの性格や人間性を知る事が大事だと考え、毎日選手同士でコミュニケーションを取りなさい、互いの人間性を分かっているほどチームとして一つにまとまった時に強くなる、と指導されました。そう考えてみると、性格を克服しようと思ったきっかけが、大舞台での仲間との信頼に発展し、培ったチームワークがメダルへと繋がって行った気がします。当時の監督は今でもシドニー組のチームワークが一番だったと仰って下さっています。

――そもそもどういった経緯で選手に選ばれるのですか?

高校では二番手投手で、全日本の監督からはお声がけ頂けなかったのですが、ある大会会場の投球練習中に日立社会人チームの方の目に止まり、入団することが出来ました。 私はマウンドが全てだと思っていたので、練習場にいた私に「チームに来ないか」と声をかけて頂いたのは本当に驚きで、見えない頑張りを見て下さる方はいる、努力は報われるんだと実感しつつ、そんな体験を努力している多くの方へ伝えて行きたいです。

――現在、そして今後の活動についてはどうお考えですか?

スポーツの良さや楽しさを伝えるための活動をしていきたいです。今は体育協会で事務や競技の裏方等も務めており、競技に立つ側の気持ちと、その会場を仕切り準備を整える側の気持ちも分かるようになりました。 また現代っ子に対して体を動かす事、汗を掻く事を勧めていきたいと思っていますが、3児の母という経験で子育てをする側の気持ちも分かるようになり、子供にスポーツをさせる親の大変さも実感しています。子供にとって環境は大切で、子供はスポーツをしたいけど親がサポート出来ない、大変なのでやらせてあげられないというのは、子供はとても辛いことです。私も息子に対してそんな態度をとってしまった事があり、これではいけないと自分を見つめ直しました。嫌な事があればすぐに辞めてしまうような子になってほしくありませんでしたので、中途半端にならずに本当にやりたいと思うならやりなさい、と真剣に話し合い、結果今まで以上に生き生きとスポーツに励んでいます。私自身も楽しく思えるようになり、子供と一緒に成長できたと思っています。今子供にスポーツをさせようか迷っている親御さんも、スポーツを通じてこの先の人生に活かせる何かを学ばせてあげてほしいと思います。特にコミュニケーション能力の成長が見込める団体競技はオススメです。

栃木偉人

栃木偉人 青木ソバ粉㈱会長 青木良一 さん栃木偉人 青木ソバ粉㈱会長 青木良一 さん
青木ソバ粉㈱会長 青木良一 さん

本日インタビューした偉人は創業百年以上の歴史を持つ『青木ソバ粉株式会社』の会長・青木良一さん。 青木ソバ粉の歴史は古く、今では6代目となるご子息に跡を引き継がれておりますが、蕎麦粉屋としては異例となる手法にて全国の小売店へ販路を広げる事業展開で業務の拡大を進めているとの事。

きっかけは所謂蕎麦屋の減少と消費者ニーズの変化です。人口減少や後継者不足により多くの蕎麦屋が暖簾を下ろし、今では蕎麦の消費先はコンビニや立食い蕎麦が主流となりました。業界全体が下火になる中、時代性に合わせ事業体系も変化させていく事が大切と考え、他の蕎麦粉屋の一歩先を行く取り組みを行っています。

長い歴史の中で常識が変化していけば、時代に飲み込まれるもの、変化に適応し進化するものが出てきますが、青木ソバ粉がこの百年の間にどのように進化し対応してきたのか、大変興味を惹かれるところです。取扱う蕎麦粉に関しても、気候や土壌に恵まれ大変質の高い蕎麦が取れる中国北東部のものを以前から使用しており、実際に現在の蕎麦の国内消費は約6割が中国産になるそうで、中国に目を向けた発端も語って下さいました。

戦前に祖父(3代目)が満州(現:瀋陽)に蕎麦工場を建てたという経験があります。祖父の弟が当時満州鉄道に勤めており、これから満州(中国)はどんどん成長するという情報をいち早く入手した祖父は国内の資産を処分し、満州の人達に蕎麦を沢山食べてもらいたいという遠大な計画を持って赴いたと聞いています。

お祖父様の計画は第2次世界大戦に巻き込まれ実らなかったとの事ですが、その時代から中国に目を向け実際に乗り込んでいった行動力は凄いと語り、更には今で言う健康センターを栃木市に開設したりと、今思えば時代を先取りしすぎていたと感じる事業も記憶に残ると、お祖父様の先見性に感嘆されていましたが、その感性は青木さんにも引き継がれ、本業のみならず数多くの栃木市発展に関わる事業にご尽力されてきたとの事。かつての蔵の街大通り商店街からアーケードが外され、蔵造りが印象的な街並みに変化した今では当たり前のように使われる“小江戸”という呼び名や巴波川遊覧船も、なんと青木さんから始まったというのだから驚きだ。

元々古い町並み=小京都として多くの街の一つだった栃木市でしたが、「江戸風情を残す町」という意味の“小江戸”に感銘を受け、同じ街並みを持つ埼玉県川越市、千葉県佐原市(現:香取市)に声をかけ1996年に初の小江戸サミットを栃木市にて開催しました。今年で23回を数える歴史あるサミットとなり、その影響から小江戸ブランドは全国的にも有名となりました。更に呼び込んだ観光客に楽しみながら情緒溢れる街並みを見て頂きたいと思い、巴波川で遊覧船を走らせる事を思いつき、10年前に市民活動としてスタートしました。

蔵の街遊覧船も当初は自らが船頭として観光客を楽しませていたとの事。有志で始めた事業も、今では年間3.9万人が利用する観光の目玉に成長。川沿いで行われるイベントやイルミネーションも青木さんの仲間が手がけていると知り、大変驚かされました。

娯楽施設の少ない街で年齢の区別なく何か楽しい事がしたいと思い春秋のビール祭りを開催し、世界中のビールやお食事、音楽を楽しみに北関東全域からお客様がいらっしゃるイベントにまで成長しました。他にも栃木市体育協会の会長として『“市民ひとり 1スポーツ”スポーツで築く、健康で明るい家庭』をスローガンに、市民の健康を増進し元気な街になるよう地域の運動会・スポーツフェスティバルにも携わっています。

今当たり前のように行われている観光資源や栃木市のブランドイメージも、時代を読む先見性が生み出した結果だった。今後として青木さんは、魅力溢れる栃木市の未来の為に積み重ねた事業を次世代に繋ぎ、やる気溢れる仲間を求め更なる活性化へ繋げる活動を行っていきたいと語る。栃木市を思うその熱意、そして新しい事に率先して飛び込んでいくその挑戦心に感銘を受けるばかり。今後の栃木市をもっと活性化させていく偉人として、更なるご活躍を期待しております。

(一社)栃木青年会議所

(一社)栃木青年会議所
栃木JCは地域の未来のために今出来ることを全力で取り組んでいます!

栃木青年会議所は、自分達の愛する地域のために活動するまちづくり団体でもあります。青少年育成事業、地域交流事業、地域政策事業、まちづくり事業、教育関連研修事業、など、理事長所信に基づき、1年間であらゆる社会貢献事業を企画展開しています。社会貢献事業のために活動する委員会が組織され、その中で様々な役割を経験することが出来ます。

栃木市、壬生町在中在勤の20歳から40歳までの青年で構成されている団体です。会員は相互啓発をはかり、公共心を養いながら地域との協働により社会の発展に貢献し続けています。そして、栃木市、壬生町を愛し、未来の栃木市、壬生町をつくるという力強い意思を持った会員が、まちのあらゆる場面で活躍しています。今年60周年を迎え、現在現役会員は140名です。

伝統・歴史

2018年創立60周年を迎えました

青少年育成事業 提灯アートプロジェクト

栃木の伝統工芸品である「新波の提灯」を使い、子供と大人が一緒になって作った提灯アートで「ぼくらのまちにあかりをともす」という事業を行いました。

社会問題へ挑む 人口減少問題解決へ「とち結い」

昨今、日本では人口減少が大きな問題となっています。私たちの住む街も例外ではなく、栃木市・壬生町の人口は2060年には現在の半数近くまで減少する予測も出ています。私たちは、この街の未来について真剣に考え、人口減少問題解決の一助として「婚活支援」の事業を行いました。今年度は全29回125組のカップル成立。

地域政策事業 栃木の伝統を未来に伝播しよう

栃木市最大のお祭りであるとちぎ秋まつりをPRすべく、栃木市子ども観光大使と共に栃木市と同じく小江戸と言われる埼玉県川越市と千葉県香取市で事業を行いました。

教育関連研修事業 日本の誇りを未来の子どもたちへ

研修事業では現代の日本人が抱える問題点、100年先の日本に残しておきたい風習や人・モノ、そして自分達の暮らす地域の誇り等をグループワークにて共に考え、意見交換を交えながら、様々な視点で現在の日本について考えました。

共に私達と活動する仲間を募集中!

まちづくりを通じて同じ志を持つ方との出逢いが見つかります。

一般社団法人 栃木青年会議所 栃木JC

一般社団法人 栃木青年会議所 Junior Chamber international Tochigi〒328-0053栃木市片柳町2-1-46商工会議所3階 TEL:0282-24-8118 FAX:0282-24-8622 https://www.tochigijc.jp/

iFreeお届け人インタビュー×設置協力店MAP

株式会社トラストインタビュー×iFree設置協力店株式会社トラストインタビュー×iFree設置協力店
株式会社トラスト

今では当たり前のようにあるポスト投函広告には専門会社がある事をご存知だったでしょうか? 本日は親子2代に渡りポスティング業を営む㈱トラストの野間社長と、娘さんであり取締役の柴山さんにお仕事に対する想いと、事業が始まったプロセス等を皆様にお伝えしたいと思い、取材致しました。

遡る事25年前、投げ込みと言われ“ポスティング”という言葉さえも無かった時代。当時の広告は新聞折込が主流で100枚もの折込も珍しくなく、それはTVやラジオCMのような他の宣伝方法が一般の商店にとって高額で敷居も高かった為でもありました。店主の方々は宣伝に苦労されており、そんな中安価で確実な宣伝方法を確立すれば困っている人々の手助けになれるし、ビジネスとしても確立出来るのではないかと考え、当時45歳で脱サラし起業したとの事。

「始めは手本になる会社すら無い時代の中で本当に手探り状態からでした。自分で足を使い一時間で何枚配布出来るかを計算したり、ポスティングという業態が存在しなかった為にお仕事を頂くのも難しく、一軒一軒商店に頭を下げ営業したりなど、そんな厳しい時期もありました。勿論そんな中で始まったからこその失敗は数知れず、お客様や配布先の方にお叱りを受ける日々もございましたが、今ではトラストさんの強みは? と聞かれると、失敗の数こそ強みですと胸を張れる程のノウハウとなっています」

現在では北関東一帯に800名以上のスタッフを抱え、ポスティング業界のパイオニア的存在として業界を牽引する傍ら、現場で活動するスタッフのサポートや、お客様への最善のフォローとサービス向上を心がけているとの事で、それは学生時代から家業を手伝って来られた娘さんの裏方仕事があったからこそだとも語り、親子二人三脚で頑張っているお二人の姿はとても微笑ましいものでした。

情報取得方法が多様化する現代社会で、取得方法が偏りがちで正確に情報をお届けする事が難しい時代の中、情報を届けたい人と受け取りたい側の橋渡しを使命として、お客様から頂いた物を確実にお届けするのが役目です、と語る柴山さんにとても感銘を受けました。

私たちiFree編集部は、その地域に住んでいながら栃木市の情報が受け取れない方や、市の活性化の為に活動する民間や行政のサービスを知って頂く為に、地域密着の情報網であるポスティング紙として生まれ変わったiFreeのコンセプトとも共通し、現場で皆様へお届けするスタッフの方々が自信を持ってお渡し出来るような紙面作りを目指す事も役目であると感じました。

iFreeは行政機関を含む市内80ヶ所以上のお店様にご理解を頂き、置き本をさせて頂きながら、市内全6万世帯の方々へお伝え出来るように40,000部を、年4回トラストさんのお力をお借りしながら皆様の元へお届けしております。特に一人暮らしや同棲カップル・新婚さん等、これから栃木市に定住を考える幅広い年齢層の方々にとって、栃木市が住みよい街と知って頂けるような情報インフラを目指しております。

是非こちらのインタビューを目にされ、私共の趣旨や想いをご理解頂けた方で、iFreeをお届けするスタッフさんをお見かけした際は『愛』を持って暖かく見守って頂ける事を心より願っております。野間社長、柴山さん、インタビューにお答え頂きありがとうございました。

栃木市ドットコム 求人ジョブ・コン

求人 ジョブ・コン栃木市ドットコム iPhone School
栃木市ドットコムはご自身で情報を登録して頂く事により各ジャンル毎に無料で事業情報を掲載頂けます。

新たに移住された方々の目線に立ち、栃木市の多くの情報を知って頂く事が「勝手が良く住み良い街」として定住や若者離れの解消へと繋がるのではないかと考え、市内の情報を網羅した便利なインフラを目指しております。現在掲載店約300店!

多くの期待を背負いわずか3年で15万人以上のご来場を迎える事が出来ました。ご支援頂いております方々へ厚く御礼申し上げます。

【ご協賛者様特典】紙媒体広告 インターネット広告 求人ジョブ・コン利用 ご協賛金額に応じた特典をご用意しております。詳細はお気軽にお問い合わせ下さい。

プレゼント情報

スマホde答えてプレゼント!スマホde答えてプレゼント!
読者様の声をフィードバック致しました!

もぱの頃は、読みたくてもあまり街中で見かけなかったので読めなかった。今回は、設置をたくさんして欲しい。

30代女性

もぱんだ

現在市内80ヶ所各所にiFreeが設置されております。20Pよりお近くの設置店を見つけ、是非お持ち下さい。

初めて目にしましたが、創刊号の記事が気になります。

40代女性

もぱんだ

第3号発行に伴いホームページをリニューアルし、最新号からバックナンバーまでご覧頂けるようになりました。

栃木市に特化した情報紙は中々無いのでとても楽しく読ませて頂きました。栃木infoは様々な行事予定が纏まっていてとても良いと思います! たいてい市の情報は市から、JAはJAから…と情報が散乱しているので分かりにくいのですが、これは色々な団体のイベントがきれいにまとまっているので本当に素晴らしいです。 大川市長の話はもう少し読みたかったです。大概選挙前は良く話を聞けるのに、選挙後はほとんど話を聞けなくなるのでこういう記事が載っているととても興味深いです。 また面白い特集楽しみにしています。

30代女性

もぱんだ

今後も市長に続く市に関わる方々のインタビューをしていきたいと思います。市内情報も公的機関や市役所各課にご協力を頂き、連携した配信を続けていければ嬉しいです。

「ここるく」×「おやこたいむ」

「ここるく」×「おやこたいむ」「ここるく」×「おやこたいむ」
出産から2年ほど経過し、やっと育児にも慣れてきましたが、日々のストレスなのか気がついたら子どもに当たってしまっている自分に気が付きました。いけないと思っても感情的になった時はどうすることも出来ず、子どもにも申し訳なく思っています。他の方々はどうやって育児ストレスに向き合っているのでしょうか?

感情的にならない方が良い!とわかっているだけで十分子育てをがんばっていると思います。なにか助言を・・・と思いますが、心理学でいうと「心理的リアクタンス」というのがあります。心理的リアクタンスとは「個人が特定の自由を侵害されたときに喚起される、自由回復を志向した動機的状態」。つまり、子どもが「●●しなさい」と言われると、「今やろうと思ってたのに」と反発心を覚え、意欲を失ってしまうのには、心理的リアクタンスが影響していると考えられます。ということは「勉強しろ」という声かけの効果は心理学的に薄いといえます。こんな事を頭の片隅に入れておくだけでも、3回に1回は感情的な部分を「まっ!言ってもしょうが無いか・・」となってくれば、子どもたちの成長は豊かなものになるのかもしれません。また、感情的になる自分に気付いているのであれば、信頼できる方に依頼して、感情的になる部分を取り除いた時間を自分でつくる・・というのも一つの手段だと思います。子どもによって「お母さん」になれた・・という子どもへの感謝の気持ちも芽生えるとうれしいですね。

親学推進協会理事 堀 昌浩 先生

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